福祉の流れを変えるとき
木村俊彦
障害者地域活動センターふらっと(TEL/FAX 048-479-3799)内
福祉の流れが大きく変わると言われている。戦後50年、高度経済成長のゆきづまりとともに、人の生き方・暮らし方、社会の在り方への根本的なとらえ返しが必要にもかかわらず、小手先の延命策を弄しているように思えて仕方ない。措置福祉のゆきづまりを市場原理の導入で対処できると考えていることが、その典型ではなかろうか。
介護保険が4月から実施されるということで、新聞やテレビでも連日とりあげられているが、この介護保険を突破口にして、これまでお役所が措置として行ってきた福祉サービスを利用者と事業者の契約に基づく福祉へ切り替えようとされている。これが社会福祉基礎構造改革とよばれているものの大きな柱で、「利用者と事業者の対等な関係」とか言われているが、実際のところは税金による行政サービスが膨れ上がる一方、バブル経済に伴う税の減収で、「福祉はお役所が責任をもって行うもの」という実態が崩壊しつつあることへの対処だと私は受け止めている。 しかしその対処がごく表面的なものにとどまり、基本的な福祉観がなんら変わっていない事が一番の問題ではなかろうか。
福祉を「福祉サービス」とし、税金で賄うのか、保険制度にするのかの違いはあれ、いずれにしても「人と人との関係」として私たちの側へ引き寄せるのではなく、お金でけりをつけて誰かに肩代わりしてもらう、その流れはまったく変わってはいない。
障害者や高齢者、子どもなどを含め、人が人と共に暮らす、学ぶ、遊ぶことの豊かさに目を向けず、自分のことだけを考えて突っ走って来てしまったつけが今来ているのだと思う。1960年代に行われた全国一斉学力テストを契機に、障害を持つ子どもたちが特殊学級に追い出されていった。このことの持つ意味はとても大きい。このあたりから日本の学校・社会は「人と共に生きる」ことよりも「人に関心をはらわず自分の事だけを考えて生きる」ことを重視するようになった。障害をもつ友達とのつきあいもない、友達のために手を貸そうとすると、「よけいなことにかかわらず、あんたは自分のことだけ考えて勉強しなさい」。こんなふうにして育った子ども達が大人になり、親になる。車椅子を押したこともなければ、尿瓶を使ったこともない、赤ん坊を抱いたこともない、こうやって育った世代は、赤ん坊を抱いてとまどい、足腰が弱り“ぼけ”の始まった親を前に呆然と立ちすくむしかないだろう。障害者とともに暮らした経験がないということは、障害をもちつつ生活していくイメージがもてないということで、このことは、子どもや親の問題ばかりではなく、事故や病気で自分が障害を抱えたときに、誰よりも本人が直面する問題である。特に年をとってからの障害は悲惨であり、生きる意欲を失い迷惑をかけたくないと自ら施設を希望する方も多いと聞いている。
ケアマネジメントと障害者プラン
社会福祉の基礎構造改革では「措置から契約」と言われているように、従来の措置制度は「利用料助成制度」へと変わり、障害者向けのケアマネジメントの導入が併せて打ち出されている。既に県段階でも「障害者介護等支援サービス(ケアマネジメント)体制整備支援事業」が《検討委員会・ケアマネージャー養成研修・試行的事業》の3本柱で進められつつある。
介護保険でのマネジメントは、要介護度に応じた金額が設定され、その枠の中で決まったサービスメニューの選択・組み合わせをすることになるが、そこには社会参加という発想はなく、一人暮らしの「重度(高齢)障害者」は基本的には施設でしか暮らせず、「重度(高齢)障害者」は体制のないまま施設から放り出されるというような問題が各地で起こりつつある。新座市の老人保健福祉計画(介護保健事業計画を含む)が2月に答申されたが、その中でも「生きがい・社会参加への支援」は元気な高齢者だけが対象で、要支援・要介護の障害をもつ高齢者ははじめから外されている。
障害者版ケアマネジメントについて厚生省は、「高齢のケアマネジメントとは全く別物」と言い、「既存のサービス」という枠組みにとらわれず、まず利用者のニードを捉えることを強調している。詳しくは後述するが、ここでの最大の問題は、社会参加を強調し、幅広い障害当事者のニードに対応するといっても、当事者ニードが出てこない限りは介護保険レベルのごく狭い福祉サービスマネジメントになりかねないということである。
基礎構造改革の流れの中で、今後市町村レベルでも「ケアマネジメント」の論議が課題になってくるだろう。しかし「ケアマネジメント」というのはひとつの方法論にすぎず、「障害者を含めたこの社会がどうあるべきなのか」という本質論の論議にはならないということを頭に置く必要があると思う。逆に言うと本質論不充分のまま、既に方法論の論議に入ってしまっていることに大きな危機感を覚える。
1995年に国は「障害者プラン〜ノーマライゼーション7ヵ年計画」を策定し、それをもとに各県、市町村レベルでの障害者計画策定を呼びかけてきた。ケアマネジメントを含めた社会福祉構造改革はこの「障害者プラン」を下敷きに打ち出されたのだから、問題の所在は「障害者プラン」の不十分性にあるといえるだろう。
「障害者プラン」は国の「障害者対策に関する新長期計画」(1993年度から2002年度))の重点施策実施計画として策定された。「〜ノーマライゼーション7か年戦略」という副題がつき、(1)地域で共に生活するために (2)社会的自立を促進するために (3)バリアフリー化を促進するために (4)生活の質(QOL)の向上を目指して (5)安全な暮らしを確保するために (6)心のバリアを取り除くやめに (7)我が国にふさわしい国際協力・国際交流を の7つの視点が示された。基本的な考え方としては「ライフステージの全ての段階において全人間的復権を目指すノーマライゼーションの理念と、障害者が障害のない者と同等に生活し、活動する社会を目指すノーマライゼーションの理念」と記されているが、肝心のノーマライゼーションの理念が非常に曖昧である。「障害者が障害のない者と同等に生活し、活動する」とはどういうことだろうか。具体的中身として特殊教育の充実(分離教育)を中心に据え、「心のバリアを取り除くために」として交流教育とボランティア活動の振興 を謳っている。つまりは《分けておいて理解しましょう》というのが国の「障害者プラン」の大きな流れである。そしてこの流れは埼玉県の障害者計画にもそっくりそのまま持ちこまれてきている。
新座市の市民アンケートでは「バリアフリー」という言葉は多くの市民が知っているにもかかわらず、「ノーマライゼーション」という言葉はほとんど知らないという結果が出ている。分離教育にしがみつくかたくなな文部省が、「障害者プラン」をわかりにくいものにしてしまった結果ではないだろうか。
残すところ3年となった「障害者プラン」であるが、私たちが求めるノーマライゼーションとは何であるのか、これまでの考え方で共に生きる社会が展望できるのか、当事者や関係者をはじめ、多くの人とともにこのことを論議し、「障害者プラン」の見直しをしていくことが急務であると思う。
関係を奪われた当事者主体は
障害者版ケアマネジメントは本人の自己決定、事故選択を尊重し、「教育、就労への参加を支えると,ともに『社会参加』を視点に入れたきめ細かいものでなければならない」としているが、地域における社会資源として例示されているのは施設や「養護・盲・聾学校」が中心であり、「社会参加」がどのようなものとしてイメージされているのか、はなはだ疑問である。また「当事者主体による自己決定・自己選択」もずいぶん危ない橋に思えてならない。なぜなら「社会に出てバリバリ働きたい」という人よりも、むしろ、養護学校の延長としての作業所や施設を選択せざるを得ない親や当事者の方が圧倒的に多いように思うからだ。当事者主体による「自立と社会参加」であるはずが、下手をすると当事者主体による施設増設にならない保障はない。
養護学校卒業生の生活をここ数年見て来たが、社会参加ってそんなに簡単なものではないとつくづく思いしらされた。ガイドヘルパーの制度があっても、それを使えない人がたくさんいる。自分が何をしたいのかわからない、行きたい所も別にない、友達は欲しいけどどうつきあっていいかわからない。養護学校と家庭の往復だけの生活を続けてきた人達にとって、社会生活を営むことは並大抵のことではない。
障害者雇用支援センター設立に向けて動き始めたが、職場に受け入れ体制のないことや、支援制度の不備などはもちろんあるが、ここでの最大の課題は「俺も働きたい」という意欲(気持ち)や、「一緒にやろうぜ」と言ってくれる友達をもてるかどうかだと感じている。「○○をやりたい」、「○○が欲しい」「○○へ行きたい」、人間関係を奪われた所で意欲は育たず、行動の幅は広がらない。
iいちいち親が教えるわけでもないのに、中学になればCDラジカセを買い、高校を卒業すれば、自然とアルバイトを始める。流行の洋服も欲しがれば、化粧もするようになる。意欲や気持ちは友達づきあいと切り離すことはできない。それは障害があろうがなかろうが同じことだ。
養護学校義務化から20年、分けられた心に落とす陰は驚くほどほど遠い。
障害計画を地域から
介護保険、基礎構造改革と同時に進行しているのが地方分権の動きである。昨年通常国会で「地方分権一括法」が成立し、これまで国が全国一律に実施してきた福祉施策も、住民に最も身近な市町村中心のものへ切り換えていこうという趣旨らしい。
都市と農村、人口密集地と過疎地、温暖な地方と豪雪地帯など、地域によって生活スタイルも違い、それに応じて福祉の在り方も異なって当然なのに、厚生省がつくった単一の要綱に沿って、無理やり形を整えてきたのが、これまでの福祉政策だったと思う。
市町村中心への転換は《障害者プラン》の中にも「地方公共団体が地域の特性に応じ主体的に取り組む障害者施策を積極的に支援する」とか「市町村の施策の実施に当たって、障害者等の意見を適切に反映するため、市町村の自主性、主体性を尊重」などと書かれ、地域主体の《市町村障害者計画》の策定が求められている。
しかし、国の末端組織のように機能してきた市町村行政が主体性をもつためには、お役所だけではなく我々市民の側にもそれなりの覚悟がいるだろう。今までのようなお役所お任せ(お願い)スタイルからの脱皮が必要だと思う。障害者を含む市民の側が生活の現場から積極的に発言し、企画し、直接政策立案にかんでいくことなしには何も変わっていかないだろう。市民(住民)自治をどう育てていくかが地方自治の最大の課題ではなかろうか。
新座市の《障害者計画》は2001年度を目標に現在《新座市障害者計画検討委員会》で審議中であるが、これに先立ち2月8日に《新座市第3次基本構想総合振興計画》の審議会答申が市長宛に出された。 新座市の一番の上位計画であるこの「基本構想」答申の内容は《障害者計画》にも大きな影響を与えると思われるが、私自身も市民公募で委員(福祉部会)として審議に加わり、随分前向きな論議がなされたと受け止めているので、その内容を簡単に報告しておきたいと思う。
(1)《障害者福祉の充実 基本方針》として「ノーマライゼーション」の定義を「障害のあるなしに関わらず、誰もが分け隔てられることなく、普通の生活を送ることのできる社会の実現を目指したノーマライゼーションの理念」としてはっきり打ち出したこと。
(2)「分け隔てられることなく」の中身として学校・職場での「共に」をしっかり盛り込んだこと。
(3)「理解とふれあいの促進」については、分けた上での「理解」や「ふれあい」ではなく、「日常的な生活の場で共に学び、働き、暮らし、参加することから、共に生きることへの理解の促進を図り」と、分けないことの大切さを盛り込んだこと。
(4)障害者就労支援センターや障害者福祉事業団など、市町村としての障害者就労支援への取り組みを明記したこと。
(5)バリアフリーのまちづくりに関しては、市民、障害者団体とともに推進することを明記したこと。
(6)取り組みの遅れている精神障害者の福祉施策の充実をあえて明記したこと。
(7)児童福祉の項に「共に学び生活する環境整備の推進」を盛り込んだこと。
福祉部会での審議では時代の大きな変化を感じた。委員全員が前向きの姿勢だったし、病院院長をされている部会長は「今まで私たちが考えてきた福祉とは健常・障害者の間に壁があって、その中で考えていたような気がする。福祉、障害者対策というと立派まな福祉施設をつくることだと思ってきたが、障害者の方のお話を聞いてみると、健常人と共に学び、働く中での心のふれあいを求めている。別の世界で長年生きてきて、ふれあいや思いやりと言っても限界があり、《共に》
《一緒に》 というyことが大切だと思います」とまとめられていた。
また全体会の場では児童福祉に盛り込んだ「共に学び生活する環境整備の推進」が内容的に教育部会と重なるため、その取扱いが論議された。結果的には福祉部会の「共に」という姿勢を「義務教育の充実」の項にも反映させるべきという意見が大勢を占め、「共に学び育つ障害児教育」(障害児教育は狭い意味での特殊教育を指すのではない、という確認に基づく)(下線部)と、「障害を有する児童生徒が小中学校で学べるよう環境整備を図る」という文が追加された。
学校問題については文部省が相変わらず分離教育の立場をとっているため、教育委員会の歯切れの悪さはこの審議会でもずいぶんと気になった。 しかし、文部省がどう言おうが、現場に近いだけ市や県の教育委員会は「通常学級でみんなと一緒に育ちたい」という親子の意向も尊重してきたし、それらの子どもが3000名近くなっていることは、周知の事実である。文部省と市民のはざまで、教育においても地方自治〜地方分権が改めて問われているのだと思う。
毎日生活しているこの新座市の中で、 ここの市民、議員、お役所の人々とつきあいつつ共に考え、つくっていくことを大切に、まずは新座市障害者計画策定に全力をあげてとりくみたいと考える。
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