「ガネーシャのホームページ」 存続について
「ガネーシャのホームページ」 の制作者(佐々木 正)は
2008年2月27日未明に自宅にて、眠るがごとく安らかに息を引き取りました。
40年とひと月あまりの生涯でした。
制作者の体力衰微によると思いますが、最終更新が 2005年5月8日となっており、近年は放置されている状態でした。
本人死去により、ホームページを閉じるのが本来ではありますが、
2008年4月時点で、147,758のアクセス数があり、同病(神経線維腫症II型)
の方々への情報提供の一助になればと、遺族は存続を考えました。
なにぶんにも古いデータではありますが、お役に立てれば幸いに存じます。私共
遺族が分かる範囲で、リンク等の消去、追加、データの修正等、
微力ではありますが心がける所存でございます。
(遺:追加)などのように記します。
お気付きの点などがありましたら、
ganesh@muse-meson.com
までお寄せ下さい。
ガネーシャ こと 佐々木 正 はホームページ上では自身を多くは語っておりません。
以下に、遺族が作成いたしました 佐々木 正 のプロフィールを記します。
昭和43年(1968)1月23日 生(東京都杉並区)
幼児期より全身痙攣の頻発があり、運動機能が未発達のように思えたが、普段の生活に大きな支障はなかった。
高校2年時(私立 城北埼玉高校)前頭葉部にこぶし大の腫瘍(良性)を発見。第1回目の開頭腫瘍摘出手術。(16歳)以降、平成18年(2006)最後の手術(開頭手術)まで合計17回の手術。
聴神経、顔面神経、前庭神経(平衡感覚を司る)が徐々に侵され、難聴から完全に聴覚を失う、無表情、ふらつく、そして血流不全等により末端に栄養が行き渡らず、四肢がやせ衰え、麻痺が起こる。以降も進行が続く。
昭和62年(1987)東洋大学文学部入学(印度哲学科)(19歳)
平成3年(1991)1月11日提出 学士論文『インドの生命観』 <序文> より
「インドの生命観、私がこのテーマを選んだ理由」
私事であるが私は現在、ある病いに加療中である。そこで考えさせらていることに「医療はただ単に身体部分の不自由を矯正することのみを目的としているのか?」ということがある。そして更に、自分を生かしている「生命」とは何か?という問題がうかびあがってきたのである.医療の目的−これは、生命を守ることにあるはずなのだが、実際には、そのような生命的視野が技術的進歩に対していわば消化不良を起こすとでもいうような事態が起きている。(脳死・臓器移植。胎児の遺伝子診断 ・・・ etc )。
いま、必要とされる思惟は「自分はなぜ生きるのか?何故生きようとするのか?」つまり、「生命の在る姿の本質の希求」にあると思う。そのような思惟を通して初めて私たちは、「生きて行く上でどのような医療が許され・必要とされ、またされないのか?」という問題に対する手掛りを見い出す事に近付けるのではないかと思う。
このような問題意識について、インドの生命観(本論においては、ウパニシャッドにおけるプラーナの思想)を一つの参考として見る事が出来ると、卒業論文のテーマにした。 ・・・後略
平成3年(1991)同文学部修士課程入学(23歳)
平成8年(1996)1月17日提出 修士論文
『初期ウパニシャッドの時代における生命観- 禁欲苦行主義的世界観を中心に -』
<結び> より
本論のテーマは、「初期ウパニシャッドにおける」生命観についてである。
・・・中略・・・
元々、インド思想というものは、現世肯定的な思想が主流であること。この土台の縛りはとても大きい。それは、現代のインド社会においてもカースト・ヴァルナ制度が存続しているなどから言える。
対して、そこから派生する禁欲主義、苦行主義的な思想は、苦行者、出家者によってなされたものであるが、決して社会と対立するのではなくそうした苦行をする人々は、癒しを行なったり瞑想を行なったり真の自己を求める者として、世俗において生活するものから尊敬を受けている。この流れも現代のインドにおいて存している。
・・・中略・・・
そうして、以下のような結論に達した。
ある価値観の創造をするとき、その新しさとは、まさにその新しい思想の担い手である人の生き方を反映するものであるのではないのか、と。
もし、この禁欲苦行主義という流れが生まれなければ、現在のインドの思想の豊かさは生まれなかったのではないかと考える。
こうした「禁欲苦行主義」という流れが、アーユルヴェーダや仏教という新しい価値観の創造につながったと考えるとき、ウパニシャッドの生命観がインドの思想に与えた影響は計り知れないと患う。今後の課題としていきたい。(了)
平成8年(1996)同博士課程進学(28歳)
平成11年(1999)同博士課程満期退学(31歳)
その後は、インターネット、eメールなどにより自身の病気(神経線維腫症U型)を持つ仲間との交流・情報交換に力を尽くした。
難病者を支援する社会福祉法人“あせび会”においては 神経線維腫症U型患者達の交流会の立ち上げに大きな協力をした。
進行性のこの難病は現在、有効な治療を模索中であり、悲観的になりやすい仲間の中にあって、正は生来の積極性を発揮し、昼夜を分かたず励ましのメールを送り続けた。
平成19年((2007)夏以降パソコンから遠ざかるようになり、睡眠時間が多くなった。
平成20年(2008)2月14日手術を予定していたが、直前に回避し、自宅療養で余命を全うすべく態勢にはいったところであった。
平成20年(2008)2月27日2時 死去(40歳)(埼玉県新座市)
以上(2008年5月17日 記)