11月14日文部科学省への要請行動(本庁)

文部科学省 出席者
初等中等教育局特別支援教育課  企画調査係長1名、企画調査係 2名
文部科学事務官 初等中等教育企画課  文部事務官

みんな一緒に普通学級へ・埼玉連絡会
どの子も地域の公立高校へ埼玉連絡会
埼玉障害者市民ネットワーク
(参加者数:合わせて数十人ほど)



○ 要望の概略正式の文書

 学校教育法施行令の改定についての要望ということでよろしくお願いします。要望書の内容を1から順に簡単に説明します。
1、ノーマライゼーションが国を挙げて取り組まれているなかで、その実態がどこまで把握されているのか。現在のところ、周知徹底されていないところが多々ある。そういう中で、埼玉では推定3000名の障害のある生徒とそうでない生徒が、現状の中で工夫しながら経験を積み重ねている。11月2日の交渉では、文部科学省が「特殊教育へのニーズが高まっている」と述べたが、そういう(3000名の子どもたちが)ノーマライゼーションを求めながら取り組んでいる現状をどのように評価するのか、今いる子どもについての認識についての問いかけです。

2、「最終報告」の資料では、各国の特殊教育在籍者の割合があげられ、わが国は0.42%で(他の国より低い)と紹介しているが、イタリアの0.06%が抜けている。また、我が国の特殊教育の就学率の低さは、単に統合教育を積極的に推進しているからだけではなくて、現状の市町村教育委員会などの努力の結果であると思う。実際にはサラマンカ宣言で謳われている「インクルーシヴな教育の在り方」というのが紹介されていない。批准されているが、この辺の流れが説明されていない。これは「最終報告」と施行令の改定の位置付けの問題です。どんな風に統合教育が進められていくのかについて、明らかにして頂ければと思う。

3、(1)10月30日、31日の文部科学委員会での遠山文部大臣の答弁について。その中で大臣は、まずは障害に伴う数々の困難さの克服の後で、色々な取り組みがあると言っている。 しかし、今の障害の或る子どもたちの置かれた状況についての捉え方について、(種々の国際条約との間に)違いがあるのではないか、ということを考えていただきたい。

  (2)社会参加するために必要な力ということが言われているが、具体的に語られていない。実際にそうするための力がどういうことなのか明らかにしてもらいたい。


  (3)最終的にはそういう力がないとされる子、つまり「障害の重複する子」、「医療的ケアの必要な子」、「知的障害の子」の社会参加をどう考えていくのか、明らかにしてもらいたい。

  (4)「交流教育」ということが言われるが、養護学校の実態を調べたところ、非常に低い割合。学校現場では十分に育たない状況。また交流教育によって、「特別な場が必要である」という 意識は出てきても、「共に生きていく仲間」という認識はなかなか生まれてこない、ということが福祉関係の現場で言われている。このような状況をどう考えるのか。

  (5)堀議員との懇談で医療的ケアを受けながら通う子のビデオを見たとき、感想として「安全性の面で望ましくない」のが出た。しかし養護学校に通っていて本当に安全なのか。往復3時間半以上、身体を押さえて通わなければならないという現状がある。養護学校は安全という根拠を教えて貰いたい。

4、施行令の改定で、特例としての身体障害児の通常学級への就学はあり得るとしていが、基準を満たしていない子どもがたくさんいる。現状ではたくさんの子が通常学級にいるのだから、特例として位置付けるのはやめて、就学にあたっては本人保護者の意思を尊重し、子どもたちの中に分断を持ち込まないでほしい、そういう風な就学基準を入れないで欲しいということ。

5、ノーマライゼーションの考え方の根本的な違いがあるのではないかと思う。わたし達は子どもたちと日々暮らしながら色々な問題を抱えている。どういうことが具体的なノーマライゼーションの中身なのか。社会参加ということで言えば、養護学校を出たあとで就労が大変だということは聞いていると思う。何故その部分が出てくるのか。高等部出るまでは面倒見ますが、その先は知りませんよというのは、社会参加という一番大切な問題が抜けている。この部分を対費用効果の面からも考えて貰いたい。実際、通常学級にいる子は、養護学級にいる子に比べて十分の一の予算で過ごしている。

6、施行規則の32条の案では、「対人関係上の問題」が挙げられているか、これは障害児だけではなく「不登校の子」などにもつかわれるということを危惧している。これについては撤廃して貰いたい。

意見交換 (以下、文部科学省側の発言は、障害者団体側の発言は
(※ 個人名等は、プライバシー保護のため、伏させていただきました、)

 以上の要望をよろしく検討願いたい。機会を改めて回答してもらいたい。今日はここに入りきれない人が来ている。12時半から3つの議員会館を200名くらいの人が埼玉県内から集まっている。そのような危惧を抱いている人がたくさんいる、という現状を認識してもらいたい。それから施行令の改定等についての署名が、第2次の集約で15903名分集まっている。
会場から今までの体験を踏まえて発言を願いたい。

 僕の大切な友だちがいるのですけど、今度の日本の法律で、その人とか、「足の不自由な子」が養護学校に行かなければならないという決まりになると聞いたのですけど、そういう法律を止めてもらうために来ました。よろしくお願いします。


 今度の法律で、「手の不自由の子」とかは、エレベーターがついてないと普通の学校に入れないということになっているのですけど、友達と離れたくないんで、この法律をやめてください。

 今日来れなかった、医療的ケアの必要な子が自分で打った手紙。皆と同じ中学に行かせて欲しいという思いで、必死になって打ったんだと思う。お読みください。


 交流教育がもたらすものは何なのか。養護学校に通っている子どもは、そこに住んでいても違う学校にいって、周りに付き合いがない。うちの子の小学校時代の同級生は、保育園の時にで知的障害者の通園施設と交流していた。そして「あそこに通っていた子どもは馬鹿なんだよ」、と言っていた。しかしうちの子どもに関しては、仲間だからあの子達とは違う、と言われていた。何で親も子も孤立しなかったのかというと、同じ学校に通ってごちゃごちゃ生きていたから。親も子どもを通して他のお母さんと付き合えた。地域と切り離していることが、社会参加につながる教育とは考えられない。そういうことを踏まえて、交流教育について考えて貰いたい。

 うちの子も普通学級に行っていて、幼稚園の頃から友達がいて、馬鹿にする子がいるが、ずっと一緒に育っているので、優しい気持ちを持つ子が段々増えている。普通学級にいることがどれだけ大切か、ということを分かってもらいたい。

 私は社会人選考で、定時制高校に入りました。30代で入った。定時制高校も段々少なくなってきて、障害児がこれから入ってくるのは少なくなっていく現状。学校施行令という法律ができつつあるが、身体障害者はエレベーターがあれば普通学級に入れるが、知的障害者は養護学校に振り分けられる。それは絶対ゆるされないということです。

 周りには障害者の人がいると思うけど、みんなそれなりにがんばっているから、引き離さない方がいいと思う。

 この問題が起きて、当初の予定から作業がかかっている。一番問題になっているのは、入っちゃいけない子を規定しているのが今回の問題。最初よりは緩やかなという話になっているが、入っちゃいけない子の基準はつくるのか、聞きたい。地方自治体が最終決定権を持つということですが、そうすると地域間格差が出てくる。それを見越して、各都道府県への教育員会に運用指導書みたいなもので、整理した細かい基準を出すということを考えているのか、二点目として聞きたい。

■ 何回も会っている人もいる。他にも場を重ねる度に何回も会っている顔がある。私の顔も覚えて貰っている。基本的には5月22日の段階の文書は、我々の取っているスタンスだとは考えて貰いたくない。何回もお話にしたとおり。それ以降の取扱いについては、今日の回答はひかえさせてもらいたいと思う。

 僕は、ここのことは分からないで来た。福祉問題から話をしたいと思う。2003年から社会福祉基礎構造改革が始まる。それというのは、細かく言うと障害者はあくまで受け手であって、サービスを消費するほうで、やっぱり分けられて、その発想がどこから来るからというと、やっぱり学校からだと思うんでよ。学校は子どもにとっては、日本、世界であり、自分の社会そのものだと思うんでよ。その社会に障害者がいなかったり、障害者の中に健常者がいなかったら、いないのがあたりまえの社会ができてしまう。利用するか、しないかで分かれてしまうのが当たり前で、僕はおかしいといっているのであって、だから入り口が分かれたところではじめるから問題が複雑になる、と感じています。

 [うちの]子どもは知的障害だが、普通学級に通っている。学年全体の人気者になっている。しかし隣に特殊学級があるが、その子達は交われない。教育委員会からの指導はあったが、私の意見で、普通学級に行くほうがいいということで入れた。指導ということで、この子は障害児だから普通の学校にいてはいけないというメッセージを受け取る。それが親にとっても苦しい。何で一緒に生きていけない世の中なんだと。松本さんという名前があるように、障害児にもそれぞれのパーソナリティーがある。苦労はそれぞれあるけど、一括りで障害者としてもらいたくない。親も苦労していて、それは子ども自身で苦労しているのではなくて、社会の壁で苦労している。そこのところを分かってほしい。分からない人で決めてもらいたくない。

 共に育つ中で未来の大人たちが、分かる人になりえる。是非に共に育つ教育を進めてもらいたい。

 政令改正については、年度内ということで作業を進めている。話を伺っているが、皆様方の質問も、5月22日の段階のペーパーを前提に議論しているが、先日の国会の答弁で局長の方から答弁したとおりになっているので、そこのところは理解してもらいた。我々もこういう場をもうけで、要望を聞いていきたい。そちらの方も、我々が説明した結果を踏まえて話をしてもらいたい。我々の方も、障害のある人の教育をよりよくしたいというところで、議論をはじめていることを理解して貰いたい。5月22日のペーパーについては、認識を変えてもらいたい。

 22日の文書はそうでないと仰るが、あの文書が流れている思想がある。何故文部科学省であんな文書がつくられているかが問題。そこに流れている思想そのものが問題。

 お母さんたちは、自分たちの体験と5月22日の文書をリンクさせて、涙をこらえて語っている。生の声をうけとめて、前向きな政令改定を行ってもらいたい。

 確かに、22日の段階とは違うということらしい。しかしわたし達が問題にしているのは、今ここにいる子どもたち、大人たちを含めて、生きている姿から考えて貰いたい。その時5月22日の文書で、違法とされる子どもたちがいるんだと思ったら耐えられないわけですよ。行政が考えたことが現場に伝わって、色々な問題を引き起こす。生きている姿の中で、行政が取り組んでいくのか考えて貰いたいというのが一点。
   それから今日、池坊議員と話をした。特殊教育の在り方というのは、規制緩和と言っていた。医療・福祉・教育の三位一体で考えていかないといけないし、最終決定は市町村にあるべき、共生の時代を迎えていく中で、大きな転換点になっているということをこれからも取り上げて考えていきたいといっていた。わたし達は自分たちも当たり前で生きていきたいし、地域の学校が当たり前に開かれていって欲しいと考えている、それだけです。そういう流れの中で是非考えてもらいたい。

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