「諦めから挑戦へ、開かずの門をこじ開けよう!」シンポジウムから
2001年9月8日 文京シビックセンターにて
<編集・文責 障害者欠格条項をなくす会>
司会/シンポジウムに入る前に、なくす会共同代表の一人である大熊由紀子さんからのメッセージを読み上げます。人生のチャンスが障害をもった人々に公平に開かれているかどうかをはかる国際的な物差し「スタンダードルール」が国連総会で採択されたのは、1993年12月。満場一致でした。規則7には、こうあります。「就労分野での法と規則は障害を持つ人を差別してはならず、就労への障壁を築いてはならない。政府は障害を持つ労働者に関する否定的な態度と偏見を克服するための啓発キャンペーンを提唱し、支援すべきである。」 このルールを各国政府が遵守しているかどうかのレポートが近く公表されます。執筆中の国連特別報告者、ベンクト・リンクビストさんにスウェーデンで会いました。リンクビストさんは全盲の身で7年間厚生大臣をつとめ、国民からもっとも敬愛された大臣でもあります。きょうの会のことを話しましたら、こんな答えがかえってきました。そのシンポジウムは、本来は政府が先頭に立って開くべきものなのですが……」今日のシンポジウムが「必要な支援を、権利として得て、学び、仕事をもち、働き続けることのできる日本」への道を開くものになるよう願っています。デンマーク・オーフスにて、大熊由紀子
金/大熊さんからのメッセージを私たちの元気付けにして、シンポジストの方の発言、討議に入ります。99年の8月に、当時の総理府(現、内閣府)に設置されていた障害者施策推進本部が障害者の欠格条項の見直し方針(対処方針)を打ち出しました。第一に、規定、基準の厳密化。第二に、絶対的欠格から相対的欠格への改正。第三に、障害名、病名の特定をやめること。第四に、資格・免許等の回復規定を明確にすること、という4つの方向が示されています。
今回の通常国会で審議された「医師法等を改正する法律」と「道路交通法の一部を改正する法律」の見直しの結果についてみると、まずは、多くの免許取得に関わる受験資格にあった絶対的欠格がなくなり、相対的欠格事由に変わりました。また、医師法では、障害名・病名をあげて、制限することは法律本文ではなくなりました。しかし、実際に運用する政省令については予断を許さない状況です。道路交通法の見直しでは、障害の種別にかかわらず、運転免許の試験は受けられるようになりました。しかし、「合格しても免許を与えないことがある」として、幻覚症状を伴う障害と発作を伴うものがあげられています。対処方針で、「障害名、病名の特定はやめる」と言われているにも関わらず、現実には障害名や病名の特定に近い形で文言が引き続き残されてしまったわけです。また、免許取消と停止に関わる規定で、交通違反をした場合などの取り調べの時など、臨時適性検査を改めて受けなければならなくなりました。これについても議論が必要です。
新しい法令への評価、今後の課題は
福井/日本てんかん協会の福井です。日本障害者協議会(JD)の理事もしています。34歳の長女が、重い障害を持っています。障害者運動には三十数年関わってきました。てんかん協会は、全国に支部があり、会員は7000人です。てんかんは、途中で治る人も多くいますが、患者は約100万人といわれているので、それを考えると少ない会員数です。ご存じの通り、てんかんは、障害者基本法の附帯決議にありますが、まだまだ市民権を得る状態ではありません。
道路交通法の見直しに関して、2000年10月に警察庁で第一回目のヒアリングがありました。強烈に覚えているのは、そのとき、私たちの机の上に「全国交通遺児遺族の会」による「安易な道路交通法の規制緩和には反対である」という文書が配られていたことです。その後、昨年の末、私たちには事前になにも示されないまま試案が示され、パブリックコメントが募集されました。それを見て非常に驚きました。試案には、免許交付の際の拒否事項として、精神分裂病とてんかんという病名が明記されていたのです。
てんかん協会では、今年の理事会で警察庁試案に強く反対をするという見解を承認し、それを警察庁に提出しました。法の下では万人の平等をうたっているのに、特定の欠格条項を残すというのならば、それには合理的な説明が必要だと提起しました。はじめは、警察庁は訂正しないのではないかと思いましたが、試案はパブリックコメントを受けて訂正された上で、閣議決定され内閣に出されました。その時点で、「てんかん」の文字は消えたのです。
その時の状況を覚えていますが、警察庁は「てんかん」の文字を消したのだから、それでいいだろう、と言ってきたわけです。しかし、実際には「てんかん」という障害名を出さずに、「発作による症状」という言葉がはっきり書かれているわけです。「てんかん」という言葉は消したというのですが、明らかに、法令の中に「障害者や病名を列記しない」という考えに反する、病名の特定が行われているわけです。
私たちは、それに対して、本年3月12日に二回目の見解を示し、こういう重要な法律の見直しを行う決定の場には、当事者を入れてほしいということを述べました。しかし、そのまま法案は閣議決定され、国会に出されることになりました。その間、自民党、民主党、共産党の担当議員などから、私たち協会の意見を求められ、意見表明をする場を持つことができました。国会の参考人質疑の際には、てんかん協会から福井が参加しました。参考人質疑は、各団体15分。そのなかで、協会としての意見を主張してきました。この時に驚いたのは、参考人として発言したのが、私の他にヒアリングのときに来ていた交通事故遺族の会の方で、遺族の会のからは大勢が傍聴に見えていました。そのとき、警察庁の考え方が見えたと思いました。
国会では、野党が修正案を出しましたが否決されました。その代わり附帯決議として、今後関係団体と十分協議をするように、ということが明記されました。しかし、やはり交通安全と障害者の社会参加は対立する問題ではないということが国会の中でも理解されていないと感じました。今年の6月に警察庁から意見を聞きたいという呼び出しがあり、かなり時間を割いていただき、私たちの意見をはっきりと述べてきました。その後出された省令では、道路交通法で定める病気ごとの処分の案が出され、その中で「2年以上発作がないもの」などの細かい規定が入り、概ね私たちの意見が通ったと思います。てんかんという病気について、多くの人に知ってもらうよい機会になったと思っています。
今回は、てんかん学会の先生が、国際てんかん学会に知らせたこともあって、日本の動向は世界の趨勢に反するものだということがはっきりわかりました。道路交通法の改正に伴って、私たち当事者組織が、警察庁とも交渉し、国会とも話し合ってきたのは、国際的な先生の熱烈なエールを受け、国内の当事者団体として自分たちの意見を提示していなかければならないと考えたからです。私たちは、今後も、国際障害者年の理念にあるように「完全参加と平等」の立場をつらぬきたいと考えています。
岩崎/この間、日本障害者協議会の政策委員のワーキンググループに加わって欠格条項の問題に取り組んできました。今日は、基本的に、道路交通法と医師法等の一括改正と精神障害に関する問題に絞ってお話します。
はじめに道交法の見直しで評価できる点について見ていきます。第一に、最初に提示された試案から、改正された法律とで変化があったという点を評価すべきだと思います。運動側の声を受けて警察庁が法律を練り直したという点は評価すべきでしょう。特に、試案で出ていた「てんかん」「精神分裂病等」という病名が、法律では消えて、形の上では相対欠格になったわけです。この点は評価すべきだろうと思います。
また、道路交通法のなかには、今まで、免許取消等の処分をする場合は、聴聞をするという条文がありました。しかし、その中に、精神保健指定医の認定をうけた精神障害の人は聴聞をしなくてもよい、という除外規定があったわけです。これが今回の改正によって削除されました。これで、聴聞の権利を精神に障害を持っている人たちも受けられるということになったわけです。
また、これは運動的なポイントですが、全国精神障害者連合会(全精連)が、第一回目の後に行われた追加のヒアリングに呼ばれたことは、評価できると思います。政府側のヒアリングなどでは、精神障害の場合は、当事者の家族という立場で運動をしている全国団体が呼ばれて話をすることがほとんどだったため、今回の初めて精神障害の当事者の団体が話す機会を得たことは大きな意味があると思います。
次に残された課題について話します。まず、「幻覚の症状をともなう精神病」という言葉がまだ残されていることです。これまでは、症状では規定できない、病名で規定したい、という考え方があったのに対して、今回、病名を特定するのではなく、症状で規定すべきだという意見が出されました。しかし、症状で規定するというのも本当はおかしいわけです。症状があるからといって、必ずしも能力の障害を伴うとは限らないわけです。
疾患と障害は関係しあってはいるが、基本的には別な視点です。運転免許に関しては、「運転する能力」が問われているわけで、それを病名で特定の人たちを欠格にするのは論外、そして病状での欠格もおかしい。本来は、その人が運転する「能力」をもっているかどうかで問うべきだと思うわけです。そのことは今回の見直しでは十分理解されていなかったと思います。
二番目の問題は、精神障害の捉え方についてです。精神障害といった場合、ある疾患の影響が永続的にあるわけではありません。日本精神神経学会でも欠格条項に関する意見として、病名による欠格条項は間違っているというのに加えて、「重度の急性期症状によって一時期に一定の能力を損なうことはあるが、多くは一過性であり、他の身体疾患者の急性症状の場合と大差がない」と書いています。
精神疾患というと、疾患によっての能力の低下がずっと長く続いてしまって運転免許などは取れないだろうと思われがちですが、決してそういうわけではありません。確かに、急性の症状によって本人が非常に混迷してしまう状態がないとは言えないけれども、それは一時期のことなのです。なんらかの運転に支障をきたす状態になったときは、一定の保留や停止をすることは合理性がないとは言えないと思います。しかし、それで免許が取り消されるというのは、おかしいと思うわけです。
更に、基本的な考え方として、どういう人を排除するか、ではなくて、どうしたら精神に障害を持った人が運転免許を取れるのか、といったことを明らかにすべきだし、そのような考え方に移っていって欲しいと思うわけです。
運転免許は、地方に行けば行くほど、また、公共交通機関が整っていなければいないほど、生活の必需品なわけです。働く上でも、生活していく上でも、ある意味では、通院のためにも、非常に必要な交通手段なわけです。それを取れない、もしくは取り上げられてしまうというのは、非常に大きな問題なわけです。だからこそ、どうすれば大手を振るって免許が取れるのかを逆に明らかにすべきだと思うわけです。
次に、精神障害を持つ人たちの免許の取得状況はどうなっているのかを 「精神障害者ピア・サポートセンター こらーる台東」が、他のセルフヘルプグループなどを通じて行ったアンケート調査(2000年に実施)の結果から見ていきたいと思います。まず、精神障害を持つ人たち(125例)に、自動車及び原付自転車の免許を所持しているかどうかを聞いたところ、この調査の中では、55.2%の人がもっているということがわかりました。次に、道路交通法の精神障害者に係わる欠格条項を知っていたか、を聞いたところ「知らない人」という人が50.4%。クロス集計をかけてみると、免許を持っていても欠格条項のことは知らないという人もいました。
重要なのは、次の質問で、「欠格条項のために免許取得・更新をあきらめたことがあるか」という質問に対して、あきらめたことがある人は15.2%、欠格条項を知りつつ取得・更新した人は25.6%となっているわけです。あきらめたにしても、知りつつも取得・更新するにしても、本人にとっては非常に大きなストレスになるわけです。
レジュメには、「免許取得時・更新時の拒否は今後もほとんど行われないと思われる」、と書いてしまいましたが、数日前に出た道交法の施行令の意見募集をみると、必ずしもそうは言えないと思っています。この施行令をみると、免許の取得時に医師の診断書を求めることを検討している、ということが書いてあります。
今までだと免許取得時には、あまり問題になってこなかったわけです。いくつかの例外、例えば取得時に本人が混迷していたとか、見るからに係官がおかしいと思った時に、鑑定医二人をつけて検討するとしているけれども、実際にはほとんどそのような例はなかったわけです。
つまり、実質的にそのような事例がないのであれば、それを根拠に、なし崩しにしていく、というのがいいだろうと思ったわけです。しかし、今回の施行令をみると、医師の診断書というのが、かなり厳格に運用される可能性があることがわかりました。そうなってしまうと今以上にきびしくなると考えられます。
基本的な考え方としては、精神障害の場合も、飲酒運転と同じように考えるべきではないかと思うわけです。普段は運転できるスキルがあるけれど、飲んで酔っ払って平衡感覚や判断能力を失ってしまうことがあるのと同じように、精神障害の場合でもそのような判断能力を失う場合があるというようにです。そのような場合は、一定期間免許を停止するというのも合理性があるかも知れない。けれども、酒を飲む人の全てに免許を与えないというのがおかしいのと同じように、精神障害を持つ人の場合でも、免許を与えないというのはおかしいのだ、と考えます。
最後に、医師法等の一括改正に関して少し触れますと、評価すべき点は、一部絶対欠格から相対欠格としたこと、また、意見聴取手続きを整備するとしたこと、さらに付則で5年後の見直しが規定されたことです。残された課題は、職能団体の意見が重視され、当事者団体の意見が十分に聴取されなかったという点が上げられます。また、法の整合性ということからみても、おかしい点はあって、理学療法士、作業療法士は欠格条項がほとんどないにも関わらず、同じ医療関係の職種で、他の人たちとの緊急時の意思疎通などが困難というのを理由に欠格条項が設けられている職種がある。そのことからしても、問題が残されたまま十分に検討されなかったことが伺えます。他にも問題はありますが、まずは、以上です。
里見/1985年に起きた、宇都宮病院で看護者によって患者さん2名が殴り殺されるという事件の報道をきっかけにして、精神病院に入院中の患者さんの人権擁護活動を行うことを目的に設立された大阪精神医療人権センターの代表をしています。
法律は確かに変わり、医師国家試験の受験資格から欠格条項は削除され、試験は受けられるようになり、道交法では、目が見えないもの、耳が聞こえないもの、精神病者には免許は与えないという絶対的欠格条項が削除されました。
これまでは、私たちは、第一にその人の能力の有無にかかわらず、一律に障害がある、あるいは精神病だということで障害者を資格から排除するような差別を問題にしてきたわけです。第二に、一律に障害者を排除することによって、障害者が能力的に劣る、あるいは、危険な存在だと社会に広く認識させ、法律そのものが社会の障害者差別と偏見をあおってきたことを問題にしてきました。この二点が、障害者欠格条項が撤廃されるべきだという基本的な考え方だったと思います。その意味では、部分的にせよ、障害者を特定して排除する表現が法律から削除され欠格条項がなくなったということは、私たちの問題提起が受け止められたわけで、一定程度評価をすべきであると思います。
しかし、国が、障害者は能力的に劣っている、又は危険だという考え方を、根本的に転換し、障害者の社会参加を進める方向に向かったのかというと残念ながらそうではない。確かに、絶対的欠格条項は削除されましたが、他の様々な条項をみると、結局、障害者や精神病者を資格から排除しようとする体制になっているわけです。そして、道交法について見た場合でも、精神病者が、これまで以上に免許を取りやすくなったかというと、どうもそうではない、むしろ、排除される可能性が高まったとさえ言えるかも知れないのです。そういう点で、政府や行政側のスタンスが、障害者の社会参加に積極的に取り組むようにはなっていないということを、十分警戒しておく必要があると思います。
障害者は能力的に劣るとか、安全の確保に問題があるという考え方が根強く残っているということを示すのは、「試験に合格しても、心身の障害により業務を適切に行うことができないとされる人には免許を与えない」という記述が残っていることからも伺い知ることができます。
業務を適正に行うことができるかどうかは、本来、試験の中で判定されるべきことです。試験のなかで判定されているにも関わらず、一定の障害を持っている場合には、再度、業務を適正に出来るかどうかの判定が行われます。結局、障害者は能力的に劣る、あるいは危険だという考え方が、払拭されていないから、二重のハードルという考え方が撤回されずに残っていると考えられるわけです。
道路交通法の問題で、さらに指摘をしていきます。道交法88条の絶対的欠格条項は削除されました。しかし、道交法の90条に、改めて「幻覚の症状を伴う精神病であって政令で定めるもの、また、発作により意識障害、運動障害を起こす病気であって政令で定めるもの、こういうものについては免許を与えないか、6カ月を超えない範囲において免許を与えることを保留するこ とができる」と書かれたわけです。いずれも試験に合格した人に対してこういう扱いをすると書かれているわけです。
しかも、政省令の政令の段階で、案として出されたものをみると、「精神分裂病」が、幻覚の症状を伴う精神病のなかに上げられているわけです。そこには、精神分裂病のもので、残遺症状がないか、きわめて軽微な状態であるものには免許を与える、そうでない場合は与えないとしている。警察庁は、しきりに「交通安全」を強調します。従ってここでいう「軽微な状態」というのは、極めてゼロに近い状態を指しているわけです。精神分裂病の人は、絶対安全というお墨付きがなければ、免許を得られない恐れが出てきます。これまでは、受験時に精神科の通院歴を申し出る必要はありませんでした。ところが、今回の政令案の中では、免許の交付時・申請時に、病気、病状、症状について記載すること、また、診断書の提出を求めることも検討していると書かれているわけです。こんなことになったら、免許をとりたい精神病者は場合によっては通院しなくなる。お医者さんとの話のなかで、運転免許を取りたいという話をしなくなる。こういう危険性が十分予想される政令の体裁になっているということについて非常に危惧しています。
更に今回の見直しによって道交法の中に、試験に合格した人に対して適正試験を受けることや診断書の提出を求めることができるという条文が新設されました。これまでも、事故に巻き込まれたり事故を起こしたりしたときに、適性検査や診断書などが問題になることはありました。しかし、今回の法改正によって、免許をもらう前に、適性検査や診断書のチェックが入ることになるわけです。しかも、適性検査を受けなければ、免許は与えないことがある、ということさえ言われています。これでは「欠格条項が撤廃された」とはいえないと思います。
また、これまで、運転免許を取った後、公安委員会は何らかの理由で必要が生じた場合、適性検査を受けなさい、という指示ができることになっていました。しかし、それは、必ずしも義務規定ではなかったので、適性検査を受けたくないのであれば、警察に行かなくてもいいという緩い規定だったわけです。受けなくてもペナルティはありませんでした。しかし、今回の法律では、適性検査の指示がきたのに、受けなかったという場合は、免許の取消ないしは一次停止の理由になる、ということが新たな条文として付け加わりました。これは障害者の社会参加を前向きに検討するという姿勢ではありません。
今後、この政省令が具体化されることによって、特に精神障害者の免許取得の機会が狭められていく、また取得後に取り上げられる機会が増えることになると思います。その意味でも、政省令の具体化作業を注意し、皆さんが意見を寄せる場があれば、このことを指摘していただきたいと思っています。
高岡/全日本難聴者・中途失聴者団体連合会の高岡です。今日は、全日本ろうあ連盟の立場を含めて、聴覚障害の立場からお話したいと思います。
私たちが最初に欠格条項の問題に関わったのは、1997年言語聴覚士法が制定されようとした時からです。私たちの団体としては、以前から言語聴覚士法の成立を待ち望んでいました。この法律ができるまでに、いろいろと意見の対立などもありましたが、話し合いの結果、言語聴覚士法が出来ました。最後になって、法律案が出された時に、欠格条項があることがわかりました。そこで、関連の厚生委員会とか、議員の方々に、これは非常に大きな問題であると意見を出しました。1997年は、アジア太平洋障害者10年の中間年で、ノーマライゼーションの運動も高まっていた時期なのですが、その時期に欠格条項が含まれる法律が国会で審議され認められるのはおかしいということで、各議員へ、反対意見をファックスなどで送る行動を起こしました。
全日本ろうあ連盟では、その時点で、まだこの法律の存在を知りませんでしたが、私たちの連絡で抗議文を届ける運動を行いました。ただ、この問題が分かった時は、すでに閣議決定の後でした。その時、内閣の中にいた当該問題について理解のある議員からは、なんでもっと早く声を上げてくれなかったのか、と言われました。私たちとしては、逆に、そういう法律を出す時に、事前にもっと障害者団体の意見を聞くべきだったのではないか、と話した覚えがあります。
その後、1998年に9つの関係団体で、「聴覚障害者を差別する法令の改正をめざす中央対策本部」という組織を設けて運動を始めました。去年の9月10日には、実際に聴覚障害を持ちながら、アメリカで医師として活躍されているろうの医師、キャロリン・スティーンさんを迎えて中央集会を開きました。彼女の話を聞いて、さらに私たちの運動に確信を持ちました。この中央対策本部の発足と同時に始めた署名運動は220万人、差別法令の撤廃を決議したのが都道府県も含めて1000自治体にのぼるなど運動的には、大きな成果が得られたと思います。
今回の医師法、道交法の受験資格などの欠格条項廃止は、やはり私たち障害者の人権確立の一歩であると大きく評価したいと思っています。昨年は、国会で、なんども議論がありました。議論の中身については、必ずしも私たちの要望に沿うものではなかったのですが、少なくとも、政府関係機関と関係団体が、国会という公の場で、障害者の社会参加、欠格条項の問題について論議を重ねてきたということは、重要な戦いの足跡だと思うわけです。これを足場にして更に次の運動をしていくことが必要だと思います。
また、これらの議論を通じて、欠格条項に関わる問題は、現在資格が必要な人たちや、すでに職に携わっている人たちだけではなく、これからそうした職業を目指そうとする人たちや、障害を持っている子供たちにも関わる重要なことだと分かってきました。
この法律の改正によって、私が危惧したことがいくつかあります。そのひとつは、障害という言葉が、簡単に一括りにされてしまって、結果的に、実質的な欠格条項を残すことにならないか、ということです。例えば、聴覚障害は、幅の広い障害であって、環境によっておおきく左右されます。現在、身体障害者福祉法では、両方の耳が70デシベル以上の聴力があると聴覚障害6級に該当するとされています。障害が重くなるにつれて等級は上がりますが、実際の社会生活や職業生活においては、こうした等級は余り意味がありません。例えば、6級の人が電話を使用出来るかというと、完全には出来ない。電話というのは、80%分かればいいのではなく、100%わかって初めてコミュニケーションができて仕事に使えるわけです。80%聞こえる難聴者と、全く聞こえないろうの人は、社会生活に必要な電話が使えない、ということでは同じなのです。ですから、等級やデシベルによる定義はあまり意味がありません。
もう一つの例では、補聴器をつける歯医者さんが誕生したとします。患者さんとコミュニケーションをしながら、ドリルで歯を削ったりします。しかし、歯を削るときのドリルの音が大きいため、補聴器をつけていても、患者さんの声が聞こえない場合があるでしょう。補聴器で会話している難聴者も、環境によっては聞こえなくなることがあるわけです。聴覚障害とはそういう障害です。つまり、障害はあくまでも、障害者個々人と社会との関係が大事なので、聴覚障害というだけで一般的に論ずることはできないのです。今後、聴覚障害を持つ人が試験に合格した後、実際のそれぞれの就労につけるかを判断するときには、聴覚障害の特徴をよく理解した人に審査をしてほしいと思います。厚生労働省の役人やその専門分野の領域の人だけでなく、障害者自身がその議論に加わっていくことが大切だと思います。
もう1つの問題は、障害を補う補助手段に関わることです。通訳の機会は以前と比べて幅広いものが用意されてきました。手話の技術も高度化されています。現在の技術や機械に頼るだけでなく、これから聴覚障害を持った人が、さまざまな分野に進出する場合に、どのような補助手段が必要なのかを考える必要があると思います。
会場からの質問をうけて
福井/これまでどの程度、障害が原因となる事故があったのか、また、その資料が見直しの議論の過程で提示されたのかという質問を受けました。警察庁が国会に提出した資料では、事故の原因がてんかんによるものだったほんの2、3の例が示されていただけで、全体の数は示されていませんでした。私たちも会員の中でも、今後、実態調査をするつもりでいます。
岩崎/質問は、私たちが具体的に政府に出した意見についてです。2001年1月に日本障害者協会として「運転免許の試験に合格したものが、過去一年間に自動車の安全な運転に支障を及ぼすような精神機能の変調があった場合は、政令の基準に従い、免許を拒否することができる」という文言を提起し、さらに、「政令の基準としては、過去一年間のてんかん発作、過去一年間の被害的な妄想など高度な思考障害が考えられるが、具体的な基準の作成には、関係団体とのさらなる狭義を経た慎重な検討が必要である」という提言をしました。
これも、非常に問題があることは承知しており、特に、「精神機能の変調」というのは、良くない言葉だと思っています。ただ、あの段階において、なんらかの形で、疾患、病名をベースにした見直しを別な方向へ転換したいということがあって、そのために、障害を持っている人たちが、どうすれば免許が取れるようになるのかについてのわかりやすい基準を規定したいと考えたため、このような言葉になりました。
私たちは、能力ベースだけでは非常に曖昧であり、細かい基準は作れないだろうと考えたわけです。それで、ベストではないけどベターな判断として提言を出したわけです。また、提出した要望書の中にあるように、当然、当事者団体や医師などの団体で協議して、具体的な基準の策定をしていく必要があると提起しています。
結局、基本は、結果責任でやるしかないだろうと思うわけです。事故をおこしてしまった、もしくは危険な運転をしている、といった場合は、警察官の判断で、なんらかの措置を取らざるを得ないと個人的には思っています。JDは基本的に障害者団体の連合会ですが、職能団体も含まれており、純粋な当事者団体ではありません。その意味でも、個別の問題に関しては、様々な立場の人がパブリックコメントなどで意見を提出していくべきだと思っています。
里見/質問は、会社に勤めている聴覚障害のある方で、会社の会議の内容がわからないため、要約筆記者の派遣を要請したが会社の秘密漏洩の危険があるといって却下された。会社の機密保持と聴覚障害者の人権を法律に照らし合わせて考えるとどうなるかというものです。
まず、会社の秘密漏洩の危険ですが、これは会社側の"人をつけたくない"という弁解であり筆記者の派遣を断る理由にはなりません。例えば、病院でカルテの運搬をするパートタイマーがいます。その人たちは患者さんのカルテに接しますが、そこでは、秘密漏洩の危険性によって雇えないということにはなりません。そういう人達については「秘密保持をします」という誓約書を取った上で、雇うわけです。手話通訳者を派遣された場合、会社内での情報を一切外部にもらさないという誓約をとればいいのです。
ただ、現時点では、就職したから、常に会議などに手話通訳をつける法律上の権利があるかというと、そこまでは残念ながら言えません。聴覚障害があることを分かって採用しながら、なんらのサポートも講じないのは、会社の雇用姿勢として問題があるということは確かです。そういう点を問題にしながら、秘密漏洩は問題にならないということで、個別のサポート方法を獲得する以外、名案はないと思われます。
これは、身体障害者のために段差をなくしてスロープをつけるということとは、ちょっと性質が異なります。個々の聴覚障害の人にどのようなフォローをすべきかは、ある程度会社の裁量に任されています。労働条件の改善で交渉していくしかない。労働組合が職場にあれば、そこの協力も求めて、労働条件改善につなげていく活動をする必要があると思います。
高岡/私のところには、聴覚障害をもっていても運転手になれるかという質問。もう一つ、病院の院長など管理的仕事ができるのかどうかという質問。三つめは、ろう学校の先生の考え方を変えたいというコメントが来ています。
ろう学校の先生の考え方を変えることは、非常に重要だと思います。これからは、学校の先生が、聞こえなくても医者や薬剤師になれるということを、子どもたちに教えてほしいと思います。様々な職業に挑戦できる、様々な可能性があることを伝えてほしいです。また、外から聴覚障害者を招いて、聴覚障害者自身が子どもたちに自分達の可能性をよく理解させて、あきらめる必要はないということを伝えていってほしいと思います。
運転手や院長の問題は、不可能ではないと思います。鉄道を運転する際、必要な補助キットは充分あると思います。例えば「ゆりかもめ」は無人運転です。障害をもった人でも、運転手として、実際に自分の目で見て、耳で聞いて、鉄道を運行・管理することはできると思います。また、病院の管理・運営に携わることは、その人が障害を持っているかどうかとは別の問題です。その人の能力、努力次第で不可能ではない。ぜひ、積極的に、病院の経営者にもなってほしいと思います。
司会・金/ 7月の法改正により、薬剤師免許を取得した早瀬さんに発言していただきたいと思います。
早瀬/先だって、7月に法改正があり、薬剤師免許を取得することができました。今までの欠格条項をなくすために、全日本ろうあ連盟の方をはじめ多くの団体から協力をいただきました。本当に感謝いたします。ありがとうございます。実際に免許をいただいた時に、ものすごく感動いたしました。
これで本当にやっと、今までの3年間の思いや結果が現れました。薬剤師として歩んでいくときに、大きな財産になると思います。また3年間の間にいろいろな方とお会いすることができました。そして、その方々からのご協力をいただいたので、みなさんにとっても、大きな財産になっていくと思います。やっと免許をもらえたのは、みなさまのご協力があったからこそのことです。本当に感動いたしました。今後、障害を持っている子供たちにも自分達の夢のために、何か資格をとっていこうという夢に対しても、その道が出来たと信じています。
今の仕事ですが、薬剤師に近い仕事をしています。製薬会社ですが、一年間出向で、日本薬剤師会で働いています。そこは、薬局、または一般の病院などから相談を受けています。もちろん電話もありますが、今後はインターネットやEメールを使って相談を受け付けていこうということで、私は、現在、その仕事をしています。今までのように電話だけでは、ろう者としては不便でした。町の薬局などの場合も、なかなかコミュニケーションができず、恥ずかしい、というとき、面と向かってはお話できませんが、でも、相談ができる、という方法として、メールでの相談が必要になってくると思います。
これからも、ろう者だけではないですが、聞こえる方、聞こえない方とも、夜時間のあるときなどにEメールをやりたいなと思います。北海道、沖縄と遠くはなれた地方の方とも、電話ではなく、パソコンメールで連絡を取ることができます。聴者にも多く利用していただきたいと思います。ろう者だけでなく、聴者と一緒にできる仕事をして、とてもうれしく思っています。
これからですが、例えば今まで、学生で講義を受けている時に、手話通訳とか、ノートテイクをお願いしたい、でも、数が少なく、専門用語が多いので技術が伴わない、だから、依頼もできず、その結果、ろうの学生が個人で勉強することが多かったわけです。それを変えていくためにも、今後、通訳士も専門性を持つ人を教育していく必要があると思います。実際、今、専門用語、病気、薬の名前、いろいろあるんです。ほとんど指文字です。手話表現ではありません。手話表現を作っていく必要もあるのではないかと思います。もう一つ、例えば、車椅子の方の場合、スロープなどの設備、お手洗いの引き戸がありますよね。施設のバリアフリーが広がっていると思います。しかし、一般の聞こえる方の心のバリアフリーがまだですよね。例えば、同じ職場でなかなか理解が得られないとか、先ほどの「通訳を依頼したいのだが、守秘義務があるために通訳の派遣を求めることができない」という質問にもありましたが、そのあたりも、目に見えないところのバリアフリーがまだまだだと思うわけです。解決のためにも、実際のろう者、職場の状況をみなさんに見ていただきたいし、ろう者としてもアピールしていくべきだと思います。
私の場合、病院、薬局などの中で、出来るだけお医者様、薬剤師の方々に、ろうとは何であるか、とか簡単な手話を教えたりしたいし、そのような活動も考えています。実際、私一人だけでやるのは無理ですが、パソコン、またはビデオなどを使って、実際に医者や薬剤師に配るという方法も考え中です。私個人では無理ですので、皆様方のご協力をいただきたいと思っています。薬剤師免許が取得できましたので、今後いろいろな場所で働いて、もっと自分自身の経験を積み重ねていき、先ほど話した夢をまた伝えることができたらいいなと思っています。
金/続いて会場から、国会の参考人として発言もされた熊谷さんです。医師法では、法律上は、身体障害に関する欠格条項は特に定められていませんが、これから医師として現場で働くとき、様々な試行錯誤があると思います。ご自身の経験についてお話しいただければと思います。
熊谷/現在、東京大学の小児科で研修医をしている熊谷です。今年の5月に医師国家試験に合格し、6月に医師免許を取得しました。働き初めて2ヶ月、その間、いろいろと困難もありました。今日は、現時点で、障害をもちながら医師として働くことの難しさ、自分なりの克服の仕方などについて、少し話させていただければと思います。
自分のスタンスは、いつも、困難にぶちあたると具体的に問題を列挙するというスタンスです。医者として働く時に、まず、医者の仕事はなんだろうと考えました。自分なりの解釈では、医者の仕事は大きくいって五つあります。一番目は問診です。二つ目は診察です。三つ目は検査です。四つ目は、文献検索です。それまでの三つで得られた情報を教科書や論文と比較対照して、治療方針をたてるという作業です。そして、5つ目が治療です。この五つのなかで自分が困難を感じるのは、診察と治療です。それ以外のことに関しては、全く障害は関係ありません。だから、この二つに自分の目標を絞り込みます。
診察というのは、聴診器を持って胸の音を聴いたりするわけです。自分の場合は車いすなので、患者さんへのリーチは非常に難しい。ベッドに寝ている患者さんなど、自分が乗り出してベッドに近づかないと患者さんの体のいろいろな場所にふれられないといった困難があります。今、車椅子を改造して、直立するようなものを作っている段階です。聴診器も、テニスラケットのような柄をつけて、遠くに寝ている患者さんでも届くように改良しています。そういったことで、診察は問題なくできる見通しはたっています。ただし、治療には限界があります。外科的な治療や手術に近い治療は、自分はできないと感じています。ただし、簡単な処置、例えば、消毒、ガーゼ交換といったことに関してはなんなく出来ます。
自分のスタンスは、これまでの法制度のように人間を分類して制限を加えるのではなく、仕事内容、業務内容を分解していくというものです。これはできる、これはできない、こうすれば出来るということを、オーダーメイドで、個々人の体や心の状態、あるいは、生活のリズムにあわせて工夫をする必要がある。そういった作業に、協力の手を差し伸べなければいけないと思います。
幸い、自分は周囲の人の理解に恵まれましたが、具体的に目標を設定してはじめて周りもスムーズになりました。具体的に一つずつ取り組むスタイルをとれば、決して、できないことはないというか、大きな夢を譲ることはないと考えています。国会のほうでもそういう発言をしました。今後も、職場で介助者を是非つけていただき、介護者の給与も保証していただくという方向になるよう、国に対して働きかけたいと考えています。
金/介助者の人件費を公的に保障してほしいというのは、欠格条項の撤廃に向けた課題の一つです。そういうことを私たちも一緒に取り組みたいと思います。次に、日本弁護士連合会(日弁連)の市川さんです。日弁連では、11月に「障害者差別禁止法の制定」をテーマとした人権大会を催すことになっています。その辺りのことを含めてお話下さい。
市川/弁護士の市川です。11月の人権大会シンポジウムの事務局長をしています。日弁連は、当初は、公正証書遺言の問題から、障害のある人に対する差別の問題について過去三年間にわたって提言を続けてきました。その中心になっていた村越弁護士が、今年、日弁連の人権擁護委員長になったため、今年の大会で障害者差別法の制定を提言しようということになりました。
ちょうど、8月末、国連の社会権規約委員会で「障害者差別禁止法」を日本で作っていないのは問題である、早期に制定すべきだという勧告がでました。社会権規約は、いわゆる条約と同じで、各国に対して強制力を持っています。勧告は、その委員会が述べたもので、大変重みがあり、タイミングとしても、日本での差別禁止法が現実に課題になってきている時期にだされた重要なものだと考えています。
今までの、障害者観というのは、障害のある人とない人を二つに分けて、国がなにかしらの施しを与えて障害のある人はそれを待つだけという考え方でした。これからは、障害のある人もない人も、一つの社会の中で、当然一緒に働き、生活をすることが前提だと思うわけです。そこで出てくる問題に、社会がどこまで歩み寄れるかを考えるという発想が必要です。
障害者差別禁止法は、そういう発想のもとに出来ています。そのための障害を持つ人の働く権利や移動する権利を明確に規定することが課題になります。差別禁止法は、働くことや移動することについて制限を科してはいけないということを明らかにする法律であるという点で、欠格条項の撤廃に貢献すると思います。ただ、欠格条項を包括的に禁止する規定をつくるというのは、法律的に難しいとは思います。また、障害者の具体的な欠格条項の施行、実施の問題ですが、差別禁止法が出来た後、どう運用するかは大きな問題です。社会がどのように歩み寄っていくのか、手話通訳の問題もそうですが、就業する職場での手話通訳を、どのように求めていくか、今後、外国での調査なども参考にしながら、まとめていこうと思っています。
金/社会的に大きな影響をもつ日弁連が、差別禁止法の制定を人権大会で取り上げるのは、わたしたちにとっても勇気づけられる話しです。欠格条項の問題も含め、包括的な取り上げ方がされるよう、連携して積極的に進めていけたらと思います。続いて会場からご発言を。
田中/田中邦夫です。今までのお話から、私の考えをまとめると、第一に、省令がどうなるかの監視が必要。第二に、より低いレベルの内部規則の様なものに欠格条項が生き残らないかの監視が必要だと思っています。民営化路線などで、資格認定業務が民間に委ねられ、その結果なくなったはずの欠格条項が蒸し返されるといったことの監視も含みます。さらに障害者の権利擁護という意味では、選挙制度のバリアフリー化という問題があります。障害者も健常者と同等の情報を得て、物理的にも同等に選挙に参加できるべきです。最近主張していることですが、選挙の実態における 障害者の権利の制限は、公職選挙法に規定されているものではなく、多くは政令・省令ですらなく、告示か、それ以下の規程、さらにはその都度の当局の解釈によっています。差別が法律の表面には出ていないという点で、改正前の著作権法も似たような状況でしたが、これほどではなかったと思います。著作権法改正については、欠格条項改正運動と平行して行われ、一応の成果を見たのですから、今後は選挙制度のバリアフリー化も、欠格条項の今後の監視と併せて、運動の目標としていくことが望ましいと思います。
殿岡/全国障害学生支援センターの代表をしています。全国障害学生支援センターは、日本のいろんな大学に通う障害を持っている学生さん、それから、これから大学を目指そうとしている学生さんをサポートする団体です。年に1度、『大学案内障害者版』というのを発行しています。
障害を持っている学生さんを受け入れるというのが、受験可という状態です。受験不可というのは、受験を申し込んでも受け入れられない状態です。また、可否未定というのは、障害学生からの申し出があった段階で、今後の状況を判断して決めるという状態です。欠格条項の相対欠格と似ているところがあります。不可、あるいは可否未定と答える大学にその理由を聞いたところ、本学の卒業資格を得ても、障害学生の希望する資格に法令に制限、つまり欠格条項があり、資格の取得が出来ないからとの答えです。
今年の回答については、当面11月末をめどに実施、公表します。これがどのように変化するか、あるいは、本来法律上の制約がない大学教育の分野が今後どのように変化していくのか、私たちとしても注意深く見ていこうと思っています。
司会・金/ 次に、まとめとして、学び、働くためのサポート、支援技術の開発と利用という具体的な問題について話していきたいと思います。今までの発言を踏まえ、これからの見直しに向けた課題について発言をお願いします。
高岡/いろいろお話を聞いて、今回の法改正の内容と意義、また残された課題を、もっともっと多くの障害者に訴える必要があると感じました。多くの聴覚障害者が関わって、運動を進めてきましたが、まだまだ充分だとはいえません。
聴覚障害者の社会参加、あるいは就労、その前の高等教育機関での学習保障を求める場合に、どのようにコミュニケーション手段を求めるかということは、障害を持っている人自身からたくさんの声を吸い上げて考える必要があります。また、社会のいろいろな分野の人に、その必要性を伝える必要があります。
日弁連のように積極的にこの問題をとりあげ、社会的に啓発している団体もありますが、まだまだ不十分だと思います。これからは、さらに多くの各職能団体の方々に、実際に障害を持ちつつ仕事を進めるためには、何が必要か、何を援助してもらいたいのかといったことをわかってもらうことが重要です。厚生労働省や法務省だけでなく、経済産業省など、幅広い分野の関係機関、また行政に、問題を伝える必要があると感じています。
アメリカでは、「リハビリテーション508条」という法律があります。これは、障害をもつ職員のみならず、アメリカのどんな国民でも、連邦政府のもっている仕事や情報にアクセスできなければいけない、ということを罰則も含めて規定している法律です。
この法律に対応するために、日本でも改革が進められています。こうした動きに私達の問題がリンクすれば、企業などの環境改善が大きく前進すると思います。その例の一つが、聴覚障害者が電話をする際の電話リレーサービスです。これは、聞こえない人と聞こえる人が、文字や手話を通じてリアルタイムでコミュニケーションをするためのサービスです。アメリカの法律では、これが通信事業者に義務づけられていますが、同様に、日本でも義務づけられれば、聴覚障害者の参画する分野は一気に広がると思います。
また、別の課題として、今後、聴覚障害者の関係団体と、手話通訳、あるいは要約筆記団体が、様々な問題をいっしょに取り組んでいく必要があると考えています。現在、専門用語を通訳できる通訳者は、非常に少ないのが現状です。法改正に伴って、専門分野にも対応できる通訳者を養成することが大切です。
また、国会などで、障害に関わる問題を取り上げるときは、障害者自身の意見を聞く場を保障してほしいと考えます。様々な障害者を呼んで、意見を発表する機会を与えることが必要だと思います。
里見/先ほども申し上げましたが、これから具体化される医師法、道路交通法等の政令の中身が気になります。この点についての取り組みで重要なのは、これから先です。今回の改正が行われて、さまざま問題が生じてくるだろうと考えられます。今後、さまざまな相談があるのではないかと考えるわけです。特に精神に障害のある人には、これらは切実な問題です。
そういう場合に、人権センターに協力する弁護士が、法律面でのサポートをすることがますます重要になってくるでしょう。
欠格条項をなくす会が発足して以降、特に運転免許の問題では、てんかんや精神障害の方、また適正試験を受けなさいと言われたと心配している方が、どこに相談してアドバイスを受ければいいのか分からない、弁護士が見つからないという声を上げています。このような状態では、迅速な権利の救済は望めないわけです。弁護士も、障害者からの相談に迅速に対応できるように、研修等をして、期待に応えられるようになる必要があると考えます。例えば、道路交通法では、聴聞の手続きや適性検査に呼び出し時の対応等も考えなくてはいけません。また、免許を拒否されたという場合も、処分が不当であれば不服の申し立てが法律的に保障される必要があります。法律運用の過程で、一つ一つ問題を提示しながら、今後の改善を進めることが重要になります。
重要なのは、絶対に泣き寝入りしない、ということです。法的にも、おかしいものは改正していくという姿勢が大切です。その中で、運用の問題点も明らかになっていくし、改善の方向を出していくことも大事だと思います。
会社に就職したが手話通訳の手配が受けられない、という声もありました。そういう方は、会社の立場上、許されるなら相談センターなどに持ち込み、聴覚障害のある人を雇用しながら労働環境を整えないのは人権侵害だといことを、日弁連の人権擁護委員会などにも問題提起してほしいです。弁護士を育てるのも当事者のサポート、つまり、当事者からの問題提起が必要です。どうぞ遠慮なく相談を持ち込んでください。その中から、障害者の権利擁護に関して取り組んでいく弁護士の層も広がると思います。今後のそういう方向を具体的に打ち出していきたいと考えています。
岩崎/欠格条項がなぜこんなに増えてきたのかについて、ふれておきたいと思います。以前、欠格条項の法律制定過程を調べた時に、二つの主要な時期がありました。一つ目の時期が、明治の後半から大正にかけてのいわゆる近代化が押し寄せてきた時。いろいろな資格制度ができたことで、それとセットで欠格条項ができた。もう一つの時期は、戦後の日本国憲法ができたときです。そこで、今まで日本になかった個人主義的な基本的人権という考え方ができてきた時に、なんらかの資格や免許を与えたくない人たちにどう対処していくのか、という問題があったわけです。それに対処するために、それまで欠格条項のなかった法律の中にも、どんどん欠格条項が出てきたわけです。それに対抗するには、やはり当事者の声を、当事者の組織としてあげていくことしかないのだろうと思います。今後、特に精神障害者の欠格条項のことを考える上で、当事者の運動が評価されて力を増していくことは、外すことはできないことだと考えます。
次に、サポートの問題ですが、精神障害の場合に非常に難しい問題があると思います。資格というのは当該資格のパフォーマンスを保障することだと思います。そこが、周りからのサポートも含めて、実際、その人がどのくらいパフォーマンスを発揮できるのかが問題になってきたわけです。しかし、当該技能に関する重要な能力の発揮に関しては、そのサポートはあくまで手段的なものでなければいけないと思うわけです。つまり、その人自身がコントロールできていなければいけません。資格というのは、その人個人が、有資格かどうかを問うものなので、その人個人に帰責してしまうものです。そう考えると、精神障害を持っている人たちに、どういうサポートが考えられるのか。例えば、職務をする時に、誰かに半分職務をやってもらう、ということでは難しいと思います。しかし、基本的な働く環境の整備であるとか、休職をすることが保障されているといった一般的な雇用環境の整備については問題にしていかなければならないし、問題にできるだろうと思います。もう一つ重要なのは、養成校の問題があると思います。資格は、養成校での訓練を必要とする場合が多いのですが、養成校段階ではねられているという問題がある。明確には、排除はしていなくても、特別な配慮はできませんが、それでもよければ排除はしない、というところはたくさんあると思います。そういった状況を、個別の私立大学などで変えていくのは難しいと思います。それには、やはり大学などへの助成金制度や法律の段階で、一定の強制力を持って、障害を持った学生が学べる場所を確保する必要がある、と提示していく必要があるのだろうと考えています。
福井/今日は道路交通法に関わって具体的な話しをしてきました。
てんかん協会は、社会啓発団体だったので、今回のように、こういう運動に取り組んだのは、おそらく歴史に残るだろうと思っています。この運動を通じて、やはり、当事者組織の責任を非常に感じました。あらゆる施策の検討に障害者の参加を、というのは、声を大にして言っていきたいと思います。今回の運動では、本当に忙しかったのですが、私たち団体も政策立案能力を高めていかなければいけないだろうと考えています。
また、今後の問題として、日本の教育において、てんかんについて、教員はもちろん、子供たちにも正しく教育して欲しいと考えています。教員のマニュアルに、10行ほどですが、てんかんについて書いてもらいました。これは何年か後に見直しますが、さらに、教員の研修項目のなかにも、この問題を入れてもらいたいと考えています。
高岡さんも国会で議論されたことがよかったと言われましたが、私もずっと傍聴して、今回の法律見直しの経過を見守りましたが、ほんとに良かったと思います。そして、国会議員の皆さんに、欠格条項についての基本的な勉強をしてもらいたいという感想も持ちました。今回の法改正では、各障害者団体が、各政党の議員を一人ひとり回りました。私は始めての経験でしたが、一致できる要求で、各障害者団体が手を繋いで行動するというのは非常に良いと思いました。お互いに抱える問題も良くわかります。今後も、各党への働きかけを積極的にしていきたいと思っています。
道交法の取り組みを通じて、欠格条項の問題について、各省庁間の連携ができていないということに唖然としました。調整や連携がなされないまま、道交法は警察庁だけに委ねるというのでは、本当にダメだと思いました。私たちのような民間の団体は、そうした問題を指摘し、各省庁間を繋いでいかなければならないのではないか、そういう役目を負っているのではないかと思っています。
最後に、今日は、障害のある方の発言を深く受け止めました。しっかりとてんかん協会にも伝えていきたいと思います。
金/医師法の一部を改正する法律では、5年後の見直規定も含まれています。
それに向けた連携や取り組みなどの準備が必要だと思います。また、新しい道路交通法の政令の部分に関しては、現在、パブリックコメントが募集されています。それぞれの立場から積極的に意見を出していければと思います。
(以上)